当時私の魚釣りの環境はこんなものでした。電電公社の学校、鈴鹿電気通信学園での一年間(昭和三十三年)はよく小さな池の鮒を釣りました。学園の中には沢山池があり、池を釣り歩き、タライに生かしておき、七輪ですずめ焼きにし、たれは色んな地方の味で作られ、晩の酒の肴にしました。学園の周囲には紡績会社が多く、そこにも、かならず池があり、池にはかならず鮒がいました。そして小さな池では10匹程も鮒を釣り上げると釣り尽くしてしまうこともありました。釣りの趣は異なりましたが楽しく、そして美味しく工夫して食べた思いがあります。