戦争に負けてこれからどうなるかと流言卑語の毎日で自分は何をしたらいいのか全く分からない日々でしたが、いよいよ戦後の混乱・騒乱が始まりました。 8月20日 見張り役のボクが、お母さんソ連の兵隊さんだよ!と家へ駆け込んだ。結果的にソ連兵を連れてきたことになり、あわてて、子供達を膝に抱いて泣かせて顔になべ墨クリームを塗りました。
ソ連兵3人が土足のまま畳の部屋まで入ってきて、私達を見て怒鳴りながら手当たりしだい押入れの戸をあけて、ひっくり返し中の布団等を引きずり出して投げつけていました.。.
一人が母の前に、方膝ついて子供を離せとニヤニヤしながら握りこぶしで親指を中指と薬指の間に出し、身振り、手振りで迫っていました。
ソ連兵の吐く息は動物臭く、熊のような大きな毛むじゃらの手。ソ連兵はやおら、懐から手榴弾を取り出しそれを母の鼻の先に突き出し安全ピンを抜くまねをして、フーと臭い息を母に吹きつけながらこれを何回も繰り返していました、たぶん母は清彦と清介を抱きしめ震えていたのでしょう。
今度は隣に座っている吉野さんの奥さんの前へ別のソ連兵が毛むじゃらの腕をまくりウォッチ、ウォッチと叫んでおり吉野さんが腕時計を差し出すとそそくさと笑いながら何か大きな声で怒鳴りながら出てゆきました。これが最初のソ連兵でした。
芝居は成功でした。ソ連兵は退散してゆきました。しかしボクがソ連兵を見つけて家へ連絡に入ったのをソ連兵に見られて、あたかもソ連兵を連れてきたようになったのです。それからはソ連兵を発見し、見られたら家に入らないことときつくボクは叱られました。