隣りの山岸さんの御主人が亡くなり、父は役所を休み、通夜と葬儀の準備をし通夜をすませて帰ったのは夜中でした。
その夜は黒龍江の対岸ブラゴブェスチェンスクの空は低く、青、赤、黄 緑色・・花火や花火の様なえい光弾・信号弾が途切れ途切れに上がり山岸さんの魂を見送っているようでした。
母は私達子供と外へ出て、山岸さん宅から父が帰るのを待ちながら何回もお祈りを捧げたことを覚えています。
山岸さんの奥さんは、学校の先生でした。御主人とは一度もお会いしたことはありませんが、省公署で少年開拓義勇軍の仕事と土地の測量だと聞いています。
山岸さんの葬儀はまだだったと思います、ご遺体はどうしたか、奥さんは避難したのかわかりません。 「戦史、満州第六国境守備隊」に通夜までは記録がありました。