記憶と言うものは蘇えることを知りました。
58年を経た今ですよ!! それは私が通っていた黒河小学校へ迷わずに行ったこと、そして校舎の職員室、自分の教室へも迷わず行けたことでした。
そのほか、タクシーを使って黒河小学校から遠足に行った沼へも行けたことでした。
沼は少し埋め立てられており、水の色も緑色ではなく茶色でした。
この沼では緑色の、フナやグズを釣った記憶があります。
郊外に南湖という大きな湖があり、街の水源にもなっていて、そこの魚が終戦後の一年間一時期私たちを養ってくれました。それは釣りではなく漁でした。
が、売るほどは取れません。売るためには量が必要と最初簡単な網を網戸で作って川えびを取りました。
考えたすえ、大きな三角網を作り、板に帆を張り、三角網を載せて遠いところで紐を引いて網を落として、引っ張って、えびを沢山取りました。
日々の糧には、まあまあでした。えびに混じって時々フナも入りました、このフナがお金になったのです。
父も加わりフナ釣りを専門にしました。そしてこれを母が街頭で売り歩きました。父のフナ釣りの場所は湖の中の杭の上、サーカスをしているようでした。父は日本の降伏によりソ連軍の捕虜になり連行されて黒龍江を渡る直前に脱走したため、当時の日本人狩りに恐怖をいだいており、昼間は、外で働くことも出来ませんでしたが、水の上まで、逮捕の手は伸びないだろうとこんな、釣りをしたのだと言っていたように思います。