僕達を乗せた避難列車はすごく長く50両くらい繋いだ貨客混合車両で後方の10両程が有蓋貨車だった。
何処へ行くのか日本の方角を目指して、満州国の北緯50度線下の国境の街、黒河を起点に、孫呉で男達を戦場に送り、南下していった。
1945年8月9日黒河からの避難列車は、奇しくも家族と同じ列車で孫呉まで来た。15歳から50歳まだの健康な男子はここ孫呉で下車して、第123師団に入隊することになった。孫呉駅で家族を乗せた引き揚げ列車見送った。無事に内地へ帰れと祈りつつ敬礼。生きて再び会うことを願いつつ。 汽笛は哀愁を帯びたというより、悲しげに長い尾を引いていた。
孫呉駅前の満鉄大和ホテルが省公署の仮庁舎として使用されることになり、省長・警務庁長・開拓庁長など省の上級幹部が駐在することになった。
孫呉まで徹退し、下車した私達、黒河の無線班は、孫呉国境警察本隊無電室へ機材とともに移動し、ここで管下各国境警察本隊と交信することになった。
孫呉本隊の通信士は満系の警尉補で、日本語も通信も達者だったが、すでに逃亡して不在だった。ただ一人田中警長が無電室で無線機など全部完全な状態に保って即交信ができる状態を維持していた。
各県警察隊員は警察大隊を編成、市街地の警備にあたり、黒河分室は孫呉無電室と共同で携帯無線機の伝播状況調査や無線機の手入れをした。
孫呉本隊無電室で各管下国境警察本隊を呼び出したが、いずれも応答はなくただ漱江警察から応答があった。
漱江の主任は私たちへ現在位置の照会を生文で送信してきた。当時防諜関係が厳しく、生文は絶対使用しなかったので私は孫呉本隊の呼出符号を繰り返し送信した。
漱江の主任は20年4月1日から黒河省に編入になって、期間も短かったので黒河省管内各本隊の呼出符号は熟知していないのかと思った。
孫呉の呼出符号では理解できず、交信は終わった。以後何れの隊とも交信は不通だった。警務司も相当混乱の状態と察せられた。もちろん交信は9日開戦以来まったく不通だった。孫呉では警察隊は街内警備に従事することになった。
13日あたり重大な発表があると噂が出ていたが、それもそのままになり情報は入らずじまいだった。日々処在のないような日が続いて、14日午前0時に北孫呉の四軍司令部前に集合せよと伝達があり、孫呉本隊の無線機も全部処分し、ソ連軍の利用不可能な状態にした。孫呉には10ワット機・受信機その他一式機材があった。
無電班には機材が多くあるので、警察隊のトラックで行った。 運転手は朝鮮人の県公署職員だった。地理不案内のため森山君が助手席に乗り道案内をした。
途中車内で運転手は今後どうなるのでしょうと、質問をするので、私は玉砕だろうと言った。運転手は「私はどうしましょうと言った」、「君は日本人だろうと云ってやった」。
北孫呉飛行場に入ったソ連軍は、あらゆる火器を無我夢中で打ちまくる状態で飛行場の上空は真っ赤になっていた。午前0時に集合が終わり、満警の警察隊員・黒河省地方警察学校生徒合わせて約200名ぐらいおり南孫呉に出て北孫呉へ大迂回をして陣地に入った。
私達は無線機と共にトラックで入った。
軍は、警察部隊は武器を持たないし、ソ連軍の侵攻は防ぎ得ないから、軍の指揮下に入れと進言を受け。
黒河正岡警務庁官は14日午後3時孫呉県公署広場に警察大隊を集合させ本日をもって警察大隊を解散すると宣言して、訓辞をした。
「皆さんは王道楽土、建設のため治安確保に努めたが断腸の念をぬぐいきれない。満系の諸君には建国以来、五族協和の精神に努め真に感謝に耐えない。
日系は本日をもって、陸軍第123師団の兵士として参加するが、満系の諸君は万難を排して家族の元に帰りこれからの人生の再生を切望する、重ねて今日までの協力に感謝する。
なお日系諸君には、ことここに至っては万止むを得ないが、軍の指揮下に入っても日本人たる誇りを持って、再び祖国の土を踏まんことを祈る」という趣旨の訓示であった。
※満系(満州人いわゆる中国人)、蒙古系(モンゴル人)、露系(ロシア人)、鮮系(朝鮮人)、日系(日本人)を日常的に使っていた。ただし鮮系は日系と同等の扱いだった。
警察隊の上官が大きな声で、我々は日本軍陣地に入り軍と行動を共にする、同行するならよし、不参加なら兵器を(小銃が主)をその場に放置して自由に解散して良いと説明があった。
このとき満警は一斉に銃を放り出して、一目散に何れかへ消えて行ったのである。ただ露系と蒙古系は孫呉までの途中で消えていた。
鮮系の私はどうしますと李(松本)が聴いた、日本人だろうと答えてやったら
何処へかと消えていった。
開拓義勇軍から5月に黒河分室に配属された2名の少年は、常に私の側に付いていた。私はかねがね目に付けていた私服の満系警察官に「彼ら2名は少年だ、頼む、連れて行って逃がしてやってくれ、彼らは子供だぞ、安全な場所まで頼む」と、ポケットからお金を鷲掴み、彼等の懐へ突っ込んだ、彼らは大きくうなずき、2人を抱きかかえるようにして、2人の満人警察官は私に別れを告げた。
私は「一路(いーるー)平安(ぴんあん)、再謝」と別れを告げた。